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ぐわぐわ団

ぐわぐわしたり、もんにょりしたり

草むしりをしました

花壇に雑草が生えていたので、草むしりをしました。広い範囲に生えていたので面倒だなぁと思ってもんにょりしたのですが、引っ張ってみると一株の草だったので一気にずぽっと抜けてしまい、あまりの爽快感に草むしりが楽しくなりました。

とはいえ、このような記事を書くのは危険なことです。

「雑草という草はない。どんな草であっても、名前のある植物であり、頑張って生きているのだから、そんな草をむしるなんてとんでもない。」

「植物の種類によって差別するのか。差別するなんてひどい!」

「草の息の根を止めるなんて残虐なことは許されない!草むしりをする奴は全員即刻死刑にしろ!」

「草むしりをしました」と無邪気に記事にするだけで極悪非道の烙印を押され、ひどいことをする奴がいたもんだと言われるのです。ブログ界のミスター・ポーゴだと揶揄され、雑草差別だと誹謗中傷の雨あられ、それはもう、えらいことになります。

確かに、雑草だからむしってもよいというのは危険な思想です。役に立つのか、立たないのか、そんな二元論で物事が語れるほど、世の中は単純ではありません。雑草とよばれている草も、二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出します。私たちの生活になくてはならない存在であることも確かです。

もっというと、私たちの生活にとって有益か無益かなんて考えることも、それは人間の傲慢な考えでしかないのです。人間の存在に関係なく雑草は生きているのです。雑草が生きるために、二酸化炭素を吸収し、酸素を吐き出しているだけで、人間のためにそんなことをしているわけではありません。人間中心に物事を考えるなど、驕りでしかないのです。

ゴキブリを見ると「きゃー!」と言って大騒ぎするなんてのも、ゴキブリにとっては迷惑な話なのです。時と場合によっては、スリッパや新聞紙で叩きのめされるわけですから、迷惑どころの騒ぎではなく、ゴキブリにとって人間は害虫なのです。人類よりも先輩であるゴキブリが、なぜか後輩にいじめられているのです。そう考えると、我々はなんとも業の深い存在であると言えそうです。

このようなことを読んで、ニヨニヨできる人は大丈夫ですが、本気で「そうかもしれない……人間とは……」と考えてしまう人は要注意ですよ。だんだん、ごはんが食べられなくなりますからね、お米のひとつぶひとつぶが生命の結晶みたいに見えてきて、私は殺米者だ!と考え出して、えらいことになっちゃいますから。

草むしりは楽しいと思うぐらいで、深く考えないようにしたほうが良いのです。ていうか、仕事ですからね、生きるためには仕方がないのです。合掌。

(C) 2016 ぐわぐわ団