読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぐわぐわ団

ぐわぐわしたり、もんにょりしたり

自分の文章がつまんないとか、需要がないとか、判断するのは自分じゃない

「わたしの文章、つまんないよね。」

「わたしの文章、需要なんかない。」

ブログなんかで文章を書いていると、だんだん悩みはじめて、こんなことを考えてしまうことがあります。最初のうちは勢いでガンガン文章を書けたけれど、だんだん自分の中でもやもやとしだして、気がついたら手が止まっていたりすることも。

とはいえ、自分の文章がつまんないとか、需要がないとか、判断するのは自分じゃないのです。読んでくれた人がそれぞれ判断すること。文章の価値は自分で決めることじゃないのです。せっかく書いた文章を、生みの親がけなしてどうしますか。

自分では当たり前でつまらないと思っていることが、他の人からしたら斬新でとんでもなくおもしろいことだったりすることもあるはずです。自分の常識が他人の非常識だったりすることも多々あります。自分の持っている、見えないものを見えるようにするのが文章を書くということ。そして人は、その人の書いた文章を通して相手を知ることができるのです。

はっきり言ってしまうと、人間の外観なんてのはみんな同じです。多少の差はあれども、頭があって、胴体があって、手があったり、足があったり、なかったり。手が8本ある人もいるかもしれないけれど、同じ人間であることには間違いありません。たこかもしれませんが、それはそれ。

でも、人間の内側、考えていることは人それぞれです。外観をいくらじーっと見ても、何を考えているのかはわかりません。表情などである程度推測することは可能ですが、それはあくまで推測です。でも、文章を書けばわかります。何を考えているか、なぜそう考えるようになったか、いろんなことがはっきりします。その人の個性であったり、特徴であったり、人生そのものだったり。そして、誰一人として全く同じ文章を綴ることはできません。だからこそ、文章には価値がある。

「わたしの文章、つまんないよね。」

と、決めつけてしまうのは、もったいないというか、間違いです。あなたにしか書けない文章があるのです。そんな、唯一無二の文章に価値がないわけがないし、需要がないわけがない。どこかで誰かがあなたの文章を楽しみにしていますし、あなたの文章を待っています。それが誰かはわかりませんが、自分が書ける精一杯を文章にしておけば、どこかでなにかがつながります。そう考えると、わくわくしませんか?

「わたしの文章、需要なんかない。」

需要があるかどうかは、少なくともあなたの決めることではありません。

唐突ですが、ぐわぐわ団には記事のストックがそこそこあります。12月15日の21時には「きんたま」というタイトルの記事を投稿する予定になっています。需要があるかどうか私が決めることではないのですが、間違いなく需要はないと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。合掌。

(C) 2016 ぐわぐわ団