読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぐわぐわ団

ぐわぐわしたり、もんにょりしたり

私の英語力

大昔の話です。といっても、江戸時代の話ではなく、私が若かった時の話です。外国人の宣教師に呼び止められて、英語で何か神様がどうとかこうとか言われたのです。外国人と話をしたこともなければ、英語で会話をしたこともない。だいたい、神様がどうとか言われて、そんなの日本語ですらどう答えたらよいのかわからない。

宣教師が怪しげな絵柄の表紙の本を鞄から出して、この怪しげな本を買うように勧めます。ハウマッチ?と聞いたら、「イン セット ダイ!」と、宣教師がさっぱりわからないことを言い始める。「In set die?」「イン セット ダイ」変な押し問答が続いた後、「あんたは日本人か?」と宣教師が問いかけてくるので、頭がくるくるするような感覚に。英語はこんなに難しいのかと頭を抱えました。

おわかりかと思いますが、宣教師は日本語で話をしていたのです。印刷代以上で本を買うように、と。「イン セット ダイ」は「印刷代」だったのです。一方、私は「イン セット ダイ」を「In set die.」と脳内変換しており、そんな熟語知らんがな……と思っていたので、意思疎通ができるわけがありません。

500円玉を渡したら、宣教師があんまり納得できないような表情をしていました。みょんみょんとしつつ、本を受け取りましたが、結構装丁がしっかりしていた本ですので、もしかしたら原価割れしていたのかもしれません。インドっぽい絵柄の絵が描かれていましたが、内容は今となってはちっとも思い出せません。何の宗教だったんだか。

そして、現在。英語力はもとより、もはや日本語すら不自由な状況。ぎょんぎょんなベイベー、もんにょりニヨニヨ。こんな感じで日本語というか、ぐわぐわな独自言語を操ることでどうにかこうにかコミュニケーションを取る毎日です。

以前、勤めていたバイト先の社長がオーストラリアに新婚旅行に行った時の話。「英語なんて喋れるわけないから、全部日本語で話したけど、なんとか通じるもんだ。」という豪傑さで、結局コミュニケーションというのは、言葉の壁があってもなんとかなるんだと教えられました。

英語を勉強して、小手先の技術で表面的なコミュニケーションを取るよりもむしろ、言葉の壁を超え、心と心を通わすことで真のコミュニケーションを取るべきであり、これからの国際化社会においてはそのようなコミュニケーションが必要なのではないかと思うのです。相手を知ること、自分を伝えること、それは言葉なんてものではなく、心なのです。

いろいろと語りましたが、英語を勉強しないために必死になって考えた屁理屈が以上になります。合掌。

© 2016 ぐわぐわ団