ぐわぐわ団

ぐわぐわしたり、もんにょりしたり

合掌について

このブログ、文章の〆は「合掌」なのです。政治や経済について熱く熱く語っていたとしても、最後は合掌。どれだけ純粋に愛について語っていたとしても、最後は合掌。みなさんから「感動した!涙が止まらない!」と絶賛を受けた記事も、最後は合掌。とにかく、初期の頃は違うのですが、合掌で締めるようにしています。いつぐらいから合掌で締めてたのかを調べてみると、思ったよりつい最近のことで、9月以降でした。全部の記事を合掌で締めようかと企んだのですが、そこそこ面倒なことが判明したので、それはやんぴにします。

 

なぜ、合掌で締めるようになったのかと言いますと『中島らものたまらん人々』という本が大好きだからです。この本、ほとんどの文章が合掌で締められています。その理由は、編集者・小堀純氏による解説に書かれていて、少し長いですが引用します。

「世の中に“たまらん人々”はいっぱいいてるわけですから、らもさんがその人たちを誌面に登場させるからには、その“たまらん”ことを弔うことにしましょう」

「ええけど、どうします?」

「原稿の最後、〆めは『合掌』と入れてください。どんな内容でもとにかく『合掌』でおねがいします」

らもさんも私も無宗教だが、とりあえず、世にある無数の“たまらん”ことに手を合わせることにした。

 

中島らものたまらん人々 (講談社文庫)

中島らものたまらん人々 (講談社文庫)

 

 

“たまらん”ことを弔う。なんとも慈しみ深い行為でしょう。ぐわぐわ団の記事は“たまらん”記事ではなく珠玉の記事ではありますが、世に出した以上は弔ってあげることが必要ではないかと思ったのです。自分で書いてて何を書いているのか、さっぱりわかっていませんが、とりあえず手を合わせることが大切なのです。

左手には陽、右手には陰の気が流れており、両手を合わせることで気が混じり合います。陰陽を混ぜ合わせることで、ひとつの区切りを作ることができるのです。珠玉の記事を読んで恍惚とすることは否定しませんが、現実世界へと戻るきっかけとして、合掌をするのです。本当に何を書いているのか、さっぱりわかりません。

また、合掌をすることは相手に対して攻撃をしませんというアピールにもなります。合掌したまま、手を出すことはできません。誰だ、地獄突きをしようとするのは。モンゴリアン・チョップも合掌っぽいが、入り方は手と手は離れておる。フライング・クロスチョップは合掌しておらんし、新崎人生の拝み渡りも拝んでいるけど合掌ではないではないか。素直に聞き流しておればよいものを無理に攻撃できる技を探そうとして、結局ドツボにハマるのだ。

失礼、少し取り乱しました。上記の理由から、今後も文章を弔い、ひとつの区切りを作るきっかけとして、積極的に合掌を取り入れていきたいと思っております。皆様も、ブログを読み終えた際には是非、合掌して頂きたいと思います。それではよろしいでしょうか、合唱。

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