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クリームみたいなせっけん

まずは何も言わずに「接見」の意味をご覧ください。大辞林からの引用です。

せっけん【接見】
(名)スル
①客に会うこと。特に、身分の高い人が公の立場から客を引見すること。「大統領が外国大使を━する」
②〘法〙身体を拘束されている被疑者・被告人と弁護人などが面会すること。

 ありがとうございました。「接見」の意味は一旦忘れて頂いて結構です。

笑いというのはとても難しくて、どうすれば笑いが生まれるのか、どうすれば笑ってもらえるのか、というのはなかなか理論でどうのこうのできる話ではありません。桂枝雀の「緊張と緩和」という理論がひとつの答えではあると思うのですが、かといって「緊張と緩和」だけでもないような気がします。

少なくとも、自分と相手による「共通認識」がないことには、笑いは生まれません。よく親戚の寄り合いなんかで起こり得る話ですが、「遠縁の◯◯ちゃんが昔、こんなでこんなだったのよ、おもしろいでしょう。」と言われて、おもしろいわけがありません。知らないんだもん、遠縁の◯◯ちゃん。知らない人名を出してきて、さも知っていて当然のように話が突き進んでしまう親戚の無差別発砲おばちゃんというのがどこの親戚にもちょいちょいいらっしゃいますが、助けてください。無理です、アレ。

「共通認識」がないと、笑いどころか、意思疎通も困難なのです。だから、お笑いのネタというのは、「小学校」だったり、「コンビニ」だったり、「動物園」といった、誰もが知っている場所を舞台にするのです。「小学校の視聴覚室」を舞台にしたコントの台本を書くことはできても、「インターナショナルスクールのミュージックシアター」を舞台にしたコントの台本は書きにくいと思うんです。それは、コントを見る人がインターナショナルスクールのことを知らないから。作家としては、まずインターナショナルスクールがどんなところなのかを書いて「共通認識」を作ることから始めないといけなくなり、それならほとんどの人が知っている「小学校の視聴覚室」を舞台にしたほうが書きやすくなるという理屈。

笑いを追求するのであれば、独りよがりでは笑いは取れないですよ。ということです。相手に寄り添って「共通認識」がどのあたりなのかをきっちりと理解し、不足する部分があれば、わかりやすく説明したうえで「共通認識」をしっかりと確立させなければ、笑いを作ることができません。まずは、きっちりと相手を理解することが必要なのです。だから、笑いは難しいんです。

冒頭で「共通認識」をこっそり入れておきましたが、お気付きだったでしょうか。

というわけで、クリームみたいなせっけんです。どんなせっけんでしょう。興味津々。泡のお風呂はバブルスター!……原ヘルス工業なんて知りませんよね、合掌。