ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

予断を許し給え

予断を許さない、この世は老いも若きも男も女も、予断を許さないのです。

許すことで怒りや恨みを捨て、いつも穏やかな気持ちでいることができます。幸福感を増幅させることにもつながります。さらに重要なことは、許すことが、自分自身の罪が許されることにつながるのです。神は許すものを許すのです。

キリスト教のサイトを見て、何のことかわからないまま、とりあえずそれっぽいことを書いてしまいましたが、許すことが大切であるというのは、感覚として何となくわからなくもありません。人は怒りや恨みの感情を抱えて冷静でいることはできません。その感情からの解放が許しであるとするのなら、やはり許すことは大切なことなのです。

何となく、それっぽいでしょう。でも、同じことを繰り返して書いているだけですよ。言い回しを変えて、同じことを繰り返すと、なぜか説得力が増すのです。

「会いたくて震える」と歌うより、「会いたくて会いたくて震える」と歌うほうが、より震える感が増すのと同じことです。「会いたくて震えに震える」でも表現としてはベターですが、ガクガクし過ぎてちょっと危ない人になりますので、やはり「会いたくて会いたくて震える」がモアベターでしょう。

「震える舌」という映画があります。「会いたくて会いたくて震える」の歌を聴くと、私が思い出すのは「震える舌」なのです。

あの頃映画 「震える舌」 [DVD]

あの頃映画 「震える舌」 [DVD]

 

 DVD売っているんですね。破傷風にかかった少女の闘病映画なのですが、子役の演技がびっくりするぐらいにすさまじくて、観た人誰もがトラウマになるという、恐怖の映画だったりします。私も一度観て心底破傷風が恐ろしいと思いました。それほど火力十分の映画です。ホラー映画だと信じて疑わない人も多いですが、あくまでも闘病映画です。そして、ネタバレしますが、最後はきちんと治ります。出演者全員が破傷風にかかって地球滅亡とか、そういう映画じゃありませんから、ご安心ください。

それはそうと、予断についてです。私は予断を許す人を見たことがありません。特に、ニュース番組で、ぎょんぎょんの状況が続いている場合、まんじゅうこわいの落語のサゲのセリフ「今度はお茶がこわい」のように、「予断を許しません」と言い放つのです。ずっと、予断は許されないのです。かわいそうな予断。許されぬまま、今に至るのです。そろそろ、許してあげてもいいのではなかろうかと。予断も許されてしかるべきではないのか、そういう機運が高まるころではないのかと思うのです。これは、予断に対する、差別なのかもしれません。許してあげることが、予断差別をなくす第一歩になるのではないかと思うのです。

予断を許し給え、神は、我々に問うているのです。アメーン。