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悪者は誰だ?

善と悪という対立軸を作ると、途端に何にもわからなくなります。

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ドラマや時代劇で悪役が出てきて、ズバッと一刀両断するのは見ていて気持ちのよいものです。でも、それはドラマや時代劇での話。現実の問題で善と悪という対立軸を作ってしまうと、悪いものは悪いのだ!という天才バカボンのパパが言いだしそうな話になってしまうのです。どうしたらいいのかとか、そういう話にならず、ただただ悪と決めつけられた人やモノが存在自体を否定されるのです。

よく槍玉に挙げられるのが、偉い人とかで、特に総理大臣なんかは格好の的になりますよね。何かあると総理大臣が悪い、総理大臣は責任を取って辞めるべきだ!みたいになるんですが、総理大臣が辞めたところで何の問題も解決しない。悪者を作っちゃうと、悪者を叩くことで問題が解決したような気になるので、余計に話も進まない。政府が悪い、国が悪い、なんてのも同じことで、何の解決にもなりません。

上司が悪い、あの人が悪い、なんてのも同じことで、悪者を作ったところで何の解決にもなりません。善と悪で考えるのが、そもそも間違いなのです。まずは、どうしたもんかと考えてみないと、何にも解決しないんですよね。でも、なんだかんだと、アレが悪い、これが悪いと、正義の味方が悪を叩きまくるのです。どうにもなりません。

交通違反で警察に捕まったとしましょう。なんでこんなところで取り締まりをしているんや、運が悪い、いやいや警察が悪いとついつい考えがちなのですが、こういう考え方をしているともったいないのです。違反をしているということは、事故につながる可能性が高いのです。もしかしたら、警察が止めてくれていなかったら事故になっていたかもしれない、人身事故にでもなったら、違反金どころの騒ぎじゃないですから、自分の不注意を気づかせてもらって良かったと思うのが正解じゃないかなと思うのです。悪者を作って怒っても何も生まれませんが、冷静に考えると、事故を未然に防ぐことができたのですから、ありがたい話なのです。

どうして、こういう話を書いているか、もうおわかりと思いますが、警察に捕まったんですよ。違反金も払いましたよ。もう、こういう考え方でもしていないと、小梅太夫じゃないですが「ちっくしょー!」なわけです。できた人間ではありませんので、ぬわー!ぐぎゃー!と、内心ぎしょぎしょです。残念なことです。