ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

べよべよ地獄

けだるい。何もしていないのに、日曜日だけがさっさと終わろうとしている。夜の帳の中で、ただただ時間が過ぎていく事に対して、怨念とも言える感情に身を焦がすのである。と、小説家志望を拗らせたような文章を書いてしまいましたが、単純に「うぁあああ」と呻きたいだけだったりします。

 

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いつもはなぜか21時に更新するようにしているのですが、別にそんなもんにこだわる必要もないので、今日は思いのままをそのまま垂れ流してしまおうと思って、がすがすキーボードを叩いております。近々、べよべよという言葉の意味も発表する予定ですが、だらだらするのは簡単ですが、べよべよするのは難しいのです。なんのことかわかりませんね、そこまで難しく考えなくても、絵を見て、フィーリングで感じ取って頂ければ十分です。

だいたい、世の中は進化しているというのに、どうして労働せねばならんのか、お金に支配されねばならんのか、生きねばならんのか、そして死なねばならんのか。もう中二病どころか、人間の尊厳そのものがむちゃくちゃになっていますが、それは日曜日が終わろうとしているのが悪いのです。日曜日が永遠に日曜日であれば、それはキリスト教で言うところの安息日が永遠に続くことになるので、世界は平和になるのです。みんな安息しまくり。そして永遠に安息しっぱなし。安息万歳!

細かく「山の日」なんて祝日を作ったりせず、いっそのこと毎日「山の日」でも構いません。毎日日曜日でなくても、毎日祝日なら万事OKです。何が万事だか。

というわけで、早急に国会は日本を毎日日曜日にする法案の審議を行うべきではなかろうか。ただし、日本国憲法第27条には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」と書かれているため、早急な憲法改正が必要となる。しかしながら、憲法改正はかなりの労力が必要となる。そんな事はわかっているので、第27条に書かれている「児童は、これを酷使してはならない。」という条文を使うのである。「児童」の定義を、300歳以下の国民と定義すれば良いのだ。300歳を超えたら酷使しても良いのか?という疑問が出てくるが、300年も生きたら酷使してもよかろう。逆に、本望というもんではなかろうか。なかなか300年も生きるなんてできることではないので、それはそれで良いということにして、さっさと審議を尽くして頂きたい。

推敲もせず、ただ書きなぐっているだけなので、何が何だかわからんのですが、とりあえず、日曜日が終わるのがツラいというのがわかって頂ければ本望です。