ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

おかあさんといっしょではない

きみはこう言いたいのでしょう。

母はどこだ!

悪質な冗談はやめてください。ぼくは死ぬかもしれないのですよ。

と、ちょいちょい『ねじ式』の有名なところをネタにしてしまいますが、これは仕方のないことなのです。

漫才のネタを学校のことであったり、大阪のおばちゃんのことであったり、電車のことであったり、たくさんの人が知っていることをネタにするのは、笑いの幅を広げるためなのです。できるだけ多くの人がネタを見てくれていると考えるわけです。

一方、ぐわぐわ団の読者は『ねじ式』の「イシャはどこだ!」ネタを知っていて、面白がってくれると、私は考えているわけですね。

前にも書いたとは思うのですが、もはや何を書いたかなど覚えていないので書きますが、ブログを書くにあたりペルソナを設定するという方法があります。ペルソナとは「架空の理想の読者像」です。こういう人がブログを読んでくれているであろうと勝手に想像して、その人を対象に文章を書く、みたいな。誰に向かって書くか、思いっきり漠然と筆を走らせるより、こういう人に読んでもらいたい!みたいな人を想像して書くほうが、文章は書きやすいのです。

というわけで、私の架空の理想の読者像は「母はどこだ!」と書くときに「きみはこう言いたいのでしょう。」と前置きすると2時間は笑ってくれる人ということになります。そんな人いません。

話が前に進まないのですが、それはいつものことです。今回の議題は「おかあさんといっしょ」についてです。NHK教育、ではなくEテレの代表的な番組である「おかあさんといっしょ」ですが、おかあさんがいません。子どもしかいません。あとは、うたのおにいさんとおねえさん。うたのおにいさんとおねえさんの実の子どもが出演しているのであれば、私は何も言いません。うたのおにいさんが父親である必要はありませんが、うたのおねえさんの子どもが出演している子どもでなければ「おかあさんといっしょ」の定義からは逸脱するのです。看板に偽りありなのです。

NHK経営委員会|視聴者のみなさまと語る会〜NHK経営委員とともに〜

NHKには「視聴者のみなさまと語る会」という会合がありまして、NHKの番組作りに関して直接経営委員会に物申す機会があるので、万障繰り合わせて参加のうえ、「おかあさんといっしょ」に出ている子どもたちはうたのおねえさんの実の子どもでなければ「おかあさんといっしょ」ではないのではないかと疑問を投げかけたら、つまみ出されます。

そうそう、今日は母の日でしたね。ありがとう、伝えられましたか?合掌。

 

『その街の今は』と『昭和の大阪』と『くらべる時代』と

今日は珍しくお家にお客さんが来るので、午前中にいろいろ片付けをして、家の中がさっぱりした感じになっています。相方はお昼寝をするといって、こたつ部屋にこもってしまったので、ひとりでぼんやりとお家で過ごしています。

お気に入りのブログが更新されていて、一冊の本がオススメされていたので、さっそく調べてみたらKindle版があったので、こういう時は本屋さんに行かなくてもいいのがとっても便利、すぐにポチッと購入ボタンを押して、時間を忘れて読んでしまいました。

『その街の今は』……大阪の街が舞台の、ふんわりとしたお話。

ここが昔どんなんやったか、知りたいねん――。28歳の歌ちゃんは、勤めていた会社が倒産し、カフェでバイトをしている。初めて参加したのに最低最悪だった合コンの帰り道、年下の良太郎と出くわした。二人は時々会って、大阪の古い写真を一緒に見たりするようになり――。過ぎ去った時間やささやかな日常を包みこみ、姿を変えていく大阪の街。今を生きる若者の日々を描く、温かな物語。

そういえば、 家に古い写真を集めた写真集があったはずだと思い出し、ごそごそと引っ張り出してきたのが『昭和の大阪』。昭和50年から平成元年までの大阪の写真がたくさん載っています。『その街の今は』に書かれていたソニータワーの取り壊される前の勇姿も見ることができます。

昭和50年頃の写真に写っている車がどれもこれもかっこいい。今は全然見かけない丸いライトにフェンダーミラーの車。今は姿形もない南海平野線の電車と線路。一方、昭和57年8月の天王寺ステーションビルは今とあんまり変わらない姿でちょっとほっとする感じがする。でも、よく見たら奥にあるべきMIOの建物がないのに気がついて、やっぱり昔の写真だなと思うのです。

街の看板のフォントが今のフォントと少し違っていて、あか抜けない感じが逆に今となっては新鮮に見えたりもするのが不思議。映画の看板は手描きの看板でこれまた今とは違っていい味を出している。こういうちょっとしたことが、とっても楽しい。

昔の写真ってのはじーっと眺めているとあっという間に時間が経ってしまうので、日曜日の午後のこんなゆったりとした時に見るのがちょうどよい感じ。そして、ぼんやりと眺めていろいろと考えるのがいちいち楽しい。

そういえば、この前『くらべる時代』という本も買ったんですよ。昭和と平成で差があるようで、ないようで、やっぱりいろいろと違う。これもまたいちいち楽しい。

のんびりしたお休みの時間、本を読んで過ごすのもぽよぽよっといい感じ。そして、お客さんがまだ来ない。

そうそう、『その街の今は』を紹介してくれたのはこちらのブログです。

sweeteatime.hatenablog.com

またまた言及してしまいましたが、小さな公園が可愛いとかニヨニヨしてしまいますね。合掌。

決算書の見方

決算書の見方を知っているかどうかでビジネスマンとしての力量がわかるのです。いまや、決算書の見方を知らないなんて「そんなんあっかぇ!」と泉州の人にどやされるぐらいのことなのです。だんじりを曳き回す勢いでどやされたら、そりゃあもうめっちょこ怖いですよ。

というわけで、ぐわぐわ団による決算書の見方です。

正しい姿勢で、目を開いて、しっかりと見るようにしましょう。決算書を目に近づけすぎたら見れなくなります。すこし肘が曲がるぐらいの距離を心がけましょう。もちろん、明るいところで見ることも大切です。真っ暗の部屋の中では決算書を見ることはできません。眩し過ぎても見にくいのですが、真っ暗の部屋の中よりはマシです。できれば、適度な明るさのところで見ることをお勧めします。

決算書の見方は以上です。目で見ることが大切です。鼻で決算書の匂いを嗅ぐことも、指で決算書の感触を確かめることも、乳首で決算書をぐりぐりすることも、できないことはないのですが、ビジネスマンとして、あまりお勧めできることではありません。それこそ「そんなんあっかぇ!」と泉州の人にどやされます。だんじりを曳き回す勢いでどやされたら、そりゃあもうめっちょこ怖いです。

小難しく書いてしまいましたが、決算書なんてのは上記のとおり、目で見ることで簡単に見ることができます。違うところを使わなければ大丈夫です。安心してください。それでは、おやすみなさい。合掌。

千利休の親分は万利休である

本当にどうしたもんだと思いませんか。

千利休の親分が万利休だとして、だからどうしたという話です。千利休はお茶の先生ですから、万利休はもっとすごい先生です。とりあえず、飲み物の先生にしておきましょう。コーラ、紅茶、ビール、お茶に限らず、全飲料の先生が万利休です。

これはもう、どうしようもない話です。万利休が飲み物だとすれば、億利休は食べ物の先生というのも、納得せざるを得ないでしょう。ハンバーグの食べ方に侘び寂びの境地をもたらしたのが億利休です。ハンバーグにわさびをつけて食べると、実はとても美味しいのですが、これも億利休のなせる技です。

受験生の諸君、覚える必要は全くありませんからね。絶対に試験には出ませんから、気を楽にしてください。受験生の諸君だけではなく、一般の読者の方も、気を確かに。ブログって好き勝手書いてもいいんですよ、いいんですが、さすがに千利休の親分が万利休で飲み物がどうとかこうとか、ここまでくだらないとどうしよう……ってなると思うのです。そこは否定しません。気を確かに。

お茶の先生が千利休、飲み物の先生が万利休、食べ物の先生が億利休でした。兆利休、京利休、垓利休という素晴らしい方々も存在します。

そして、その頂点に君臨されるのが、無量大数利休です。神、と言っても過言ではありません。表千家も裏返して裏千家にしてしまうぐらいにすごいのが無量大数利休です。無料大数利休と書き間違えると、とたんに安っぽくなりますからご注意ください。「むりょうたいすう」と入力して、一気に変換ボタンを押すのがコツです。「むりょう」と入力してすぐに変換ボタンを押してしまうと、高い確率で「無料」になるので、その辺はご注意ください。

一方、あんまり大したことがないのが百利休です。ペットボトルのお茶にちょっと詳しいぐらいのおっさんです。十利休ともなると、回転すし屋さんのテーブルに置かれている粉のお茶に一家言持っているけど実はうっとうしいだけのおっさんです。ここまでくると、もう残念としか言いようがありません。

一利休は無視して結構です。試験には出ません。ていうか、今までのも試験に出ません。

というわけで、みなさんにはたくさんの利休を紹介致しました。くだらないと思われた方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、くだらない中にも何か一つ光るものを見つけてもらえれば幸いです。よろしくお願い申し上げます。合掌。