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読んで損する楽しいブログ

清少納言の枕草子と大納言小豆

昨日は清少納言が演じるファーストサマーウイカの詠んだ俳句の話をさせて頂きましたが、そもそも清少納言というのはどういう人だったのかというと『枕草子』という本を書いたことで有名です。

枕草子(まくら くさこ)という主人公がアルプスの山で元気いっぱいに過ごしていたものの、クララが立って、ルーベンスの絵を見て、セントバーナードと一緒に死ぬというかわいそうな話が平安時代に大ヒット。紫式部のGENJI物語と共に一世風靡セピアしたという五輪真弓が残っています。

そんな与太話はどうでもよいのですが、小納言というのは官位であって、その上には中納言という官位もあるのです。中納言というのは伊勢海老の扱うお店で、昔はテレビで伊勢海老がパシャーっと水から飛び出てジャジャジャジャーンというすごいCMをしていたので、ある一定の年齢層以上の方には有名です。そして、私自身も過去に一度だけですが、中納言でごはんを食べたことがあります。伊勢海老のお刺身とか、伊勢海老を真っ二つにして焼いたのとか、とにかく伊勢海老を堪能できる素晴らしいお店でした。

というのは過去にも書いたことがあったと思うのですが、こんなのはなんぼ書いてもよいのです。中納言で伊勢海老を食べた経験は私の生涯の中で誇りを持って語り継いでいくことでしょう。

そして、大納言という小豆があります。サーティワンアイスには大納言あずきというフレーバーのアイスがありまして、食べたことはありませんが、見た感じなかなかに美味しそうです。やはり小豆というと大納言小豆が頭に浮かびます。大納言という立派な名前がそうさせるのでしょう。

このように考えると、小納言などまだまだあまい、あまちゃんであると言わざるを得ないのであります。清少納言で諦めるのではなく、サマーセカンドウイカには清中納言となって伊勢海老を堪能していただく、もしくは清大納言として小豆を頑張ってもらわなければなりません。頑張りましょう。合掌。

ファーストサマーウイカの俳句とフェイクニュースについて

京都・老舗の煎餅、あられ、おかき専門店小倉山荘の「カルタ百人一首」というお菓子があるのですが、小袋にちいさなおかきが入っていて、その小袋には百人一首が書かれていて、これがなかなかに洒落ているのです。

上の写真はその「カルタ百人一首」のひとつです。こちらは有名なファーストサマーウイカの俳句になっています。今日はこちらの句の解説をさせていただきましょう。

「よにあふさかの せきはゆるさじ」ひらがなで書いているのでわかりにくいと思いますので、漢字に直しましょう。「世に大阪の 咳は許さじ」コロナ禍の時に詠まれたと言われています。当時は咳払い一つで周囲の人たちが怯え、怒り、お前ウイルス持ってたらどうすんねん!とケンカが始まるというぐらいに殺伐とした世の中でした。今は多少マシになっていますが、咳払いが聞こえると、咳払いをした人がマスクしているのかどうか気になって仕方がありません。やはり、あの恐怖の時代を経験した後遺症と言えなくもないのだと思います。

そして、そんな殺伐とした状況を上手に詠んだということで、このファーストサマーウイカの俳句は百人一首に採用されているのです。

そもそも、百人一首というのは、今の石川県知事である馳浩が文部科学大臣だった時、日本の俳句文化を絶やさぬために有識者を集めて日本を代表する俳句を百句集めて作ったものです。もともと国語の先生で、日本代表としてオリンピックに出場し、ジャパンプロレスでプロレスラーデビュー、その後新日本プロレスに移籍し人気レスラーとして大活躍、引退後は政治家に転身、衆議院議員として7期勤め、その後石川県知事として、現在は能登地震の復興に尽力している、とてもすごいひとです。なお、同時期にジャパンプロレスからデビューしたのは佐々木健介です。覚えておいて損かも知れません。

そんな百人一首の一つとして、今回はファーストサマーウイカの俳句を紹介させてもらいましたが、みなさんは決して信じてはいけません。フェイクニュースには気をつけましょう。合掌。

百人一首解説

百人一首の解説を行います。今回は83番の歌です。

ぜんぶひらがなで書いたら、なんとなく相田みつをの作品みたくなってしまいました。私の書道の腕前が準6級だからでしょうか。とはいえ、こういう書き方をしてしまうと相田みつをの書道の腕前が準6級程度であるというディスりとも捉えかねられないので、私の書道の腕前に関してはとりあえず無視しておいてください。

それはそうと、こちらの和歌「よのなかよ みちこそなかれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる」ですが、皇太后宮大夫俊成という人が詠んだ俳句です。皇太后ということですから女性です。皇太后というのは天皇のお母さんのことです。覚えておきましょう。

この句はまず「世の中よ!」とかなりたくさんの人に対して訴えかけています。生徒会長が「生徒諸君!」と叫ぶようなもので、しかも皇太后の言葉ですから、みなさんは平身低頭で「ははぁ」と言わねばなりません。水戸黄門の印籠を番組開始早々にどどーんと出されたようなものだと思ってもらっても結構です。

そして、「みちこそなかれ」は「未知こそなかれ」すなわち知らないことは何もないということです。驕り昂っていると言ってもいいでしょう。「重ひいる」は重いハイヒールのことです。枕詞なので適当に流してもらって結構です。

そして、「やまのおくにもしかぞなくなる」は「山の奥にも鹿ぞなくなる」つまり環境破壊の恐ろしさを訴えているのです。つまり、この俳句は環境破壊に対して一石を投じていると言っても過言ではないでしょう。平安時代から環境破壊について憂いていた皇太后の先見の明には恐れ入ります。平安時代というのは下水処理場なんてありませんでしたし、おトイレも水洗ではなく、なんか箱の中にしていたということを聞いたことがあります。つまり、環境破壊が凄まじかったということなのです。決して平安時代も平安ではなかったということが、この句からは読み取ることができるのです。よかったですね。合掌。